田中秀臣『デフレ不況:日銀の大罪』朝日新聞出版、2010年5月。
プロローグ デフレの責任はだれにあるか
第一章 責任逃れの「日銀理論」
二段階不況
「日銀のせいではない」----白川総裁のデフレ原因論
その場しのぎのデフレ対策
緩和効果はあっという間に消えた
FRBとの違いはなぜ生まれるのか
デフレは社会的不安を増大させる
バブルの警戒しすぎがデフレを生む
政策委員会はイエスマンばかり
日銀の言論統制
事実上の政策決定機関とは
政策委員選任という権力
第二章 世界が酷評する日銀の金融政策
日本銀行を批判し続けたバーナンキ
中央銀行はインフレを起こせる
財政政策と金融政策の合わせ技
すべての提案を拒否する日本銀行
インフレ・ターゲットとは何か
「子守協同組合」のたとえ話
必要なのはインフレ期待
日本のデフレは公表数値をはるかに超える
スティグリッツの政府紙幣発行論
FRBは日本から教訓を得た
それでも自己満足に浸る日本銀行
第三章 昭和恐慌の教訓
リーマン・ショックと相似形の昭和恐慌
恐慌の深刻化を招いた井上財政
金本位制の足かせ
デフレ脱出は国債買いオペで
リフレ政策への期待が重要な要素
財政出動の効果はあったか
歴史の教訓を生かせ----高橋是清のリフレ政策
第四章 日本銀行、失敗の戦後史
旧日銀法下の日本銀行
狂乱物価は日銀と関係ない----「日銀理論」の発生
日銀黄金時代----貨幣供給量を重視するマネタリズム
プラザ合意後、バブル発生
行き過ぎたバブル潰し、失われた一〇年へ
日銀と財務省はなぜ協調できないか
改正日銀法施行、ゼロ金利政策へ
大失策のゼロ金利解除
第五章 「構造改革主義」の誤解
小泉構造改革で景気が回復したのか
「構造改革主義」とは
リフレ的構造改革
財政支出の非効率性がいらだちを生む
何が財政支出依存をもたらしたか
小泉政権下で景気が回復した理由
デフレ対策としての為替介入
早すぎた出口政策
政策決定の基準は何か
頻発するリーク問題
二〇〇六年の日銀と一九三三年のFRB
第六章 中央銀行の金融政策
景気循環はなぜ起きるのか
ケインズ経済学の財政政策
貨幣の量をコントロールする
中央銀行の伝統的金融政策
日銀は金融緩和に後ろ向き
インフレ期待で実質金利は下がる
デフレを導く「円高シンドローム」
再現された「円高シンドローム」
第七章 リフレ政策----デフレ不況の処方箋
石橋湛山のリフレ論
伝統的金融政策と財政政策の限界
必要とされる非伝統的金融政策
各国で採用されるインフレ目標
深刻なデフレでも可能な超金融緩和政策
日銀は資産防衛しか頭にない
リフレ理論から見た民主党政策の問題点
政治の決断が求められている
あとがき